海へ進もう|美村里江さんのムーミンコラム♯5
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ムーミンパパ海へいく
海 !
いいですねぇ。いまだに文字を見るだけでワクワクします。というのも、私の出身地埼玉県はいわゆる「海なし県」。結構な時間をかけて移動しないと辿り着けないので、海はとびきりのレジャーの際にしか見られない特別な場所でした。
特に馴染み深いのは8月末の海。夏休みも終わりかけ、海水浴に来ている人も少なくなった、9月目前の海です。理由は旅行を先導する父の「混雑嫌い」。大人になってからは賛同する部分もあるのですが、海の家も半分閉まっていたり、何より泳いでいるとあちこちからビリビリ刺してくるクラゲが痛いこと! それでも砂浜でビーチコーミングしたり、岩場で生き物を捕まえたり、水平線と波を眺めるだけでも魅力いっぱいで大好きでした。
今も仕事柄オンシーズンの海水浴は難しいのですが、夜釣りへ行ったり、海水に膝まで浸かったりして楽しんでおります。(海は大体2ヶ月前の気温の影響が残った水温になっているので晩秋でもぬるく、初夏はまだ冷たい。)
それと同時に、海を見ると自然とムーミンパパとその愛船である冒険号を思い出してしまいます。家族みんなで島へ向かったのに、本作のタイトルは『ムーミンパパ海へいく』であり、それ以前には『ムーミンパパの思い出』もあります。他のキャラクター名はないのに、小説9作中2作もパパを主題に書かれた理由はなんでしょう?
小説『ムーミンパパ海へいく』[新版] /作・絵:トーベ・ヤンソン 講談社刊より
舞台は海を渡った島、登場する植物も少し変わります。
赤いヒース、ポプラの木、もみ、ヒメカンバ、浜ナデシコ、ヤマナラシ、クローベリー……。「高い木が一本もないのは、なんだか変」というムーミンの視点から、風が強く吹き抜ける島の風景が想像できますね。
表土に生えるヒースと呼ばれるエリカ属の植物
ムーミン小説出版80 周年のテーマは“The door is always open”であり、ムーミン屋敷にも、トーベが少女時代に夏を過ごした島の小屋にも、鍵はかかっていません。にも関わらず、作中で一家が辿り着いた島の灯台の扉にはがっちりと鍵がかかっており、この先の困難さを醸し出しています。
物語のきっかけは些細で、燃え広がりやすい8月の火の取り扱いについて、ムーミンパパは繰り返し家族に注意していました(とても重要な教えです)。ところが、ふと起きた“ぼや”を家族が自分抜きで鎮火したことを後で知り、肝心な時に頼られなかったことに大きなショックを受けてしまいます。
小説『ムーミンパパ海へいく』[新版] /作・絵:トーベ・ヤンソン 講談社刊より
そうして様子のおかしくなったパパに対する、我らが「ちびのミイ」の分析が的確です。
「だれだって、ときにはおこるほうがいいのよ。どんなに小さなクニットだって、おこる権利はあるのよ。だけど、パパのおこりかたはいけないわ。パパはいかりを外へ出さないで、中におしこんじゃうんだもの」
確かに! 自分の理想(大きな器の大人物)と反するため「怒ってはいけない」とぶすぶすと燻っている人、時々見かけます。自分の感情を素直に認める初手って大事ですね(自戒も込めて)。
パパの憂いを晴らすべく決めた、ムーミンママの対応も思い切ったものでした。
本来安定を好むのに、灯台のある島を目指して一家でムーミン谷を離れる決意をするのです。持っていく荷物も最小限にして、不足のあるなかでパパがみんなのために物を揃えたり場を整えたりすることに、腕を奮えるように。しかし心の中では……
(おかしいわ。くらしがうまくいきすぎるからといって、かなしんだり、まして腹を立てるなんて、おかしいわ。だけど。そうなんだからしかたないわね。かんじんなことはただ一つ、視点を変えてやり直すことね。)
小説『ムーミンパパ海へいく』[新版] /作・絵:トーベ・ヤンソン 講談社刊より
ママの抱く不可解さはもっともで、なぜパパは充足した暮らしの中で危機感を抱いたのか。
二度の戦争という荒波を乗り越えなければならなかった当時のフィンランドで、トーベが見てきた風景が想像されます。家族や国を守るため強くあらねば、と体と心を強張らせた各国の男性たち。ほとんどの場面でそれに追従、対応していくしかなかった女性と子どもたち……。
本作執筆当時、既に他界していた父親との関係は複雑な部分もあったようですが、全編を通して読むと張り切りすぎて可笑しみのあるムーミンパパの行動を理解したい、そんな気持ちも感じられます。その一方で、自分たちを追ってきたモランや、美しいうみうまとの交流から色々学び、一人で成長していくムーミン。島の生活に順応しようとするママの工夫と奮闘。
9作目にムーミン一家がほぼ登場しないことを考えれば、この8作目は実質一家の総ざらい、最終作と言えます。「ムーミン一家の成長と再生の物語」と銘打たれているように、皆がそれぞれの視点で葛藤し、対処を考え、発見し、前進していく様子が愛しい本作。なにか正体不明のモヤモヤを抱えている方には、特にオススメです。
もくじ前の「父親たる人へ」というメッセージも、なんだかトーベらしい。その自覚を持つ人は誰しも父親になれるのかもしれませんし、逆に、父親を名乗っていてもその資格がないケースも想起させる……。鋭い一文です。
ここに添えられた棘のある植物はハナマスでしょうか。一説によると、フィンランドのハナマスの一部は18世紀後半になんと日本から輸入されたそうで、あまりに繁殖力が強すぎるため今は特定外来種として「ただちに伐採」を推奨されているとのこと。人も花も、自分に合った場所を探すのって大事ですね。
小説『ムーミンパパ海へいく』[新版] /作・絵:トーベ・ヤンソン 講談社刊より
海岸の砂地に生えるバラ「ハナマス」
見所の多い話なので少し長くなってしまいましたが、実際に荒波寄せる島の小屋で執筆された本作は、島と海の美しさ、激しさ、厳しさも克明に描かれております。暑くて出かけるのがしんどい、でもどこかに心を旅させたい時にもうってつけです。実際の海は勿論いいものですが、本の中の海も作品を跨いで楽しんでみてください。
来る9月は、日本では防災月間。パパの火災予防指導は的確でしたが、ムーミン谷の防災意識はどうなっているでしょうか? そして実は私の大好きな“アレ”が終わってしまう、重要な区切りの季節……。
夏の名残を楽しみつつ、お待ちくださいませ。
美村里江さん(俳優/エッセイスト)
2003年にドラマ「ビギナー」で主演デビュー。ドラマ・映画・舞台・CMなど幅広く活躍。読書家としても知られ、新聞や雑誌などでエッセイや書評の執筆活動も行い、複数のコラムを連載中。近著には初の歌集「たん・たんか・たん」(青土社)がある。2018年3月、「ミムラ」から改名。