北風を追って|美村里江さんのムーミンコラム♯8
更新
公開

寒くなってきましたねぇ。
色づいた街路樹も落ち葉を踊らせていますが、子供の頃、木枯らしは友達でした。同じ方向に走れば、背中を押されいつもより速くなった気分。逆に風上へ向かえば顔を撫で回され、髪がボサボサになって楽しい。(役者になった今、外で撮影中の強風には表向き大人として困り顔をしておりますが、心の中の小さい私はいまだに喜んでおります。)
そんな木枯らしと共に歩く下校時間、「菊の花」も楽しみにしていました。
後鳥羽上皇が愛したことで現在も天皇家の象徴になっているという、日本には大変馴染み深い花。私は特に緑や白の小菊、ピンポンマムが好きです。切り花としても長持ちで頼もしいですよね。

真ん丸のフォルムが愛らしいピンポンマム
私の育った埼玉北部は畑や空き地も多い土地でしたので、菊の花はあちこちの境界線でのびのびと咲いていました。下校中そんな菊を見つけたらお家の方や畑仕事中の方に声を掛け、一つだけ花を頂き、集めていきます。
菊の花は「頭状花序」で小さな花の集まりですがバリエーションが多く、白い菊でも一重と八重の違い、ピンクの濃淡は幅広く、中心の色が違うものと同色でみっちり埋まっているもの、ストロー咲きの花弁内外の差異……。

花弁がスプーンやストロー状にみえるストロー咲きの菊
わざと遠回りで家に帰り、掌いっぱいになるまで集めたそれらの菊を洗面器の水に浮かべ、色も形も違う菊がそれぞれのリズムでゆらゆら水面を漂うのを眺めるのが大好きでした。
この遊びをはじめたのは小学校3年生くらい。「自我」が出てきて、でもまだうまくコントロールはできなくて、友達との諍いも少し複雑になってくるような頃だったと記憶しています。大きさも色も形も違う、でも同時期に咲いたそれぞれ美しい菊の花を見て、何か慰められるものがあったのでしょう。
己を再認識すること――『ムーミン谷の十一月』より
じっくり浸る一人時間も良いですが、多人数のコミュニティの中でこそ感じる「己」の再認識、というのもまた良いものです。ムーミンの世界にはこのどちらも丁寧に描かれておりますが、小説『ムーミン谷の十一月』ではその両面を深く味わえます。

ムーミン一家は不在、予想外の面々が遭遇 (小説「ムーミン谷の十一月」より)
主人公不在の物語という設定からして惹かれ、小学生の頃から繰り返し読んでいた1冊ですが、これが実質的なシリーズのラストと知った時は驚きました。最終回に、まさかの主人公不在! その分、ムーミン一家に会いたい気持ちを募らせる登場人物たちへの共感が高まっていく、特異な構造となっています。
花の香りや虫の羽音まで感じるほどに、何度も繰り返し思い描いたムーミン谷に向かうホムサ・トフト。
親戚付き合いを絶って大好きな家の手入れに専念してきたフィリフヨンカは、掃除中の思いがけない事態で心細くなり、ムーミン一家に会おうと決めます。
自分が自分じゃなかったらよかったのに、という憂鬱な朝に夏のムーミン谷での時間を思い出し、歯ブラシ一本ポケットに入れ出発するヘムレンさん。
百歳のスタックルおじさんは、ムーミン谷へ行ったことがあるのかないのかすら物忘れの彼方、それでも上機嫌でムーミン谷を目指します。
四者が特殊な感性でムーミン谷を目指す中、「ムーミン家の養女となった、妹のミイに会いたくなった」というミムラねえさんの目的は自然です。(そして物語がアップダウンしても、彼女だけは自然体のまま。)
8月にムーミン谷で閃いた曲の、頭の5小節を取りにーーなんていう詩的な理由でムーミン谷に戻ったスナフキンは、普段と異なる他者との接触の連続で、思わぬ自分の本音を発見します。
一家が不在と知り、ムーミン屋敷で待つことにした面々。同じテーブルで一緒に食事をしても、心はちぐはぐ。衝突したり、すれ違ったり、ハラハラする展開が続き……。
そういったことが苦手なスナフキンは屋敷の外にテントを張り、少しでも一人になる時間を作ろうと心がけます。しかし皆とのちょっとした会話から、おどおど、めそめそ、だんまり、トンチンカン……それぞれの様子が一人でテントにいても、気配としてうるさく参ってしまいます。
ここでスナフキンが思い返すムーミン一家の特徴は、この1冊だけでなく、シリーズ全体の背骨といってもいいものかもしれません。
「 はっと急に、スナフキンは一家のことが恋しくて、たまらなくなりました。あのひとたちだって、うるさいことにはうるさいんです。おしゃべりだってしたがります。どこへ行っても、出くわします。でもいっしょにいても、ひとりっきりになれるんです。 」
このスナフキンの発見こそ、読者がムーミンの世界に強く惹かれる理由ではないかと、私は感じています。

「ムーミン一家の心を持って開く、わが家の夕べ」パーティー (小説「ムーミン谷の十一月」より)
スナフキンが一人の森で感じる「なごやかでとっておきの孤独」も、実は誰かと一緒に居る時間がないと味わえないものなんですよね。ずっと孤独では、それは孤独としての意味を失ってしまいます。誰かと一緒にいる、ということも同じく。人生にはどちらも必要で、その配分は人によって様々です。
ムーミン一家が持つ“何か”を求めて集まった凸凹メンバーも、異色の他者と思わぬ同居生活をすることで打ち解けたり、自分とこの人は違うんだなと納得して程よい距離をみつけたり……。各々少しずつ前進した後に催される「ムーミン一家の心を持って開く、わが家の夕べ」パーティーでは、不器用ながらそれぞれ役割を担い互いを称え合う面々が、本当に愛おしくなります。

パーティーの後の大掃除 (小説「ムーミン谷の十一月」より)

いっしょにいても、ひとりっきりになれる (小説「ムーミン谷の十一月」より)
もう30回以上は読み返している作品ですが、毎回このページまでくるとホッと一安心!
全員が自然体で肩の力が抜けていて、とても素敵な絵です。(スタックルおじさん除く)皆で行った大掃除でのおそろいの疲労感を携え、ムーミン一家を恋しく想う気持ちは共通しつつ、同じ方向を見つめていても、それ以外は何もかも違う人たちなのです。自分だけの大事なものを胸に抱きつつ、相手にも大事なものがあると理解し合っている時、お互いにリラックスできる距離感が見つかるのかもしれません。
これを日常で自然とやっていて、よその人達が来ても変わらなかったムーミン一家の懐の深さと求心力を踏まえ、小説群を読み返してみてください。トーベ・ヤンソンがどれほど素晴らしい家族を私たちに紹介してくれたのか、あらためて嬉しい気持ちになりますよ。
さあ、現実世界も11月を終え、何かと人付き合いの多いシーズンに突入。自分にとってのスナフキン的「とっておきの孤独」を味わうためにも、ほどほどに楽しみたいものです。
先月の「香りめでたく」の回からはこぼれましたが、クリスマス飾りとして赤い実も活躍するヒイラギの花もいい香り……と思いきや、日本のヒイラギはモクセイ科で初夏に黒紫色の実がなり、節分飾りとして活躍。冬に赤い実をつける西洋ヒイラギ(英名クリスマスホーリー)はモチノキ科で、全く別物です。

さらに、日本のヒイラギは学名に「異なる葉」の意味もあり、これは老木になるとあのギザギザがなくなって丸い葉になるからなんですって。年を取って丸くなるのは人間だけじゃなかったんですねぇ。(年寄りが皆丸くなると思ったら大間違いだ! と私の頭の中のスタックルおじさんが杖を振り上げておりますが。)
次回はクリスマスや大晦日について。宗派の壁を飛び越えてなんでも乗っかるお祭り大国日本とフィンランドでは、どんな違いがあるのでしょう。そして冬眠するはずのムーミンたちは、クリスマスをどう過ごしているのか?
少し早めにお送りする予定です。
美村里江さん(俳優/エッセイスト)

2003年にドラマ「ビギナー」で主演デビュー。ドラマ・映画・舞台・CMなど幅広く活躍。読書家としても知られ、新聞や雑誌などでエッセイや書評の執筆活動も行い、複数のコラムを連載中。近著には初の歌集「たん・たんか・たん」(青土社)がある。2018年3月、「ミムラ」から改名。






































