春を迎えて|美村里江さんのムーミンコラム♯1
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美村里江さん(俳優/エッセイスト)
2003年にドラマ「ビギナー」で主演デビュー。ドラマ・映画・舞台・CMなど幅広く活躍。読書家としても知られ、新聞や雑誌などでエッセイや書評の執筆活動も行い、複数のコラムを連載中。近著には初の歌集「たん・たんか・たん」(青土社)がある。2018年3月、「ミムラ」から改名。
連載開始にあたり
ムーミンの世界と自然や植物について、1年連載を担当します美村里江です。
かつての私の芸名「ミムラ」はムーミンの「ミムラねえさん」から拝借したもので、遡ってみるとまだ漢字も読めない4、5歳からムーミンの本を開きトーベ・ヤンソンの挿絵に見入っておりました。今も必ず、年一回はムーミンの小説全巻を読み直し続けている私ですが、「スウェーデン系フィンランド人」であるトーベの幼少期や作品の背景も知るにつれ、あれこれ思うところがコケモモジャムのように煮詰まってきたところ。どこかでまとめて書きたい……。そんな願いがオフィシャルの絵付きで、しかも大好きな植物についても書ける形で叶うという! 大僥倖に恐れ入りつつ、30年以上かけて形成されたムーミン愛の結晶を支柱に、植物と自然への敬愛の蔓を絡め、ムーミン小説出版80周年のお祝いの気持ちを込めて、精一杯執筆いたします。暫しお付き合いくださいませ。
ムーミン・コミックス「南の島へくりだそう」より
さて、ようやく寒い日もなくなり、初夏に向け汗ばむ陽気になってきた日本の4月ですが、ムーミンたちの春への想いは格別です。なぜかというと、「冬眠」を挟むからですね。
動物としては珍しくないですが、小説のメインキャラクターが一家揃って冬眠してしまう、というのは結構驚きの設定。雪深い中で眠りについてじっと春を待つわけで、久しぶりに会う友達や、眩い緑にかわいらしい花、なにより太陽への渇望はひとしおです。作者のトーベ・ヤンソンが育ったフィンランドをはじめとする北欧では、冬の日照時間が大変短く、一日中太陽が昇らない「極夜」まで存在します。
想像してみましょう。数ヶ月の冬眠から起きて窓を開け、雪解け水で濡れた土の匂いを嗅ぎ、あたたかな陽光の中で縮こまった体を伸ばした時、どれだけ気持ち良いものでしょうか。春にテンションが上がってしまうのも無理はありません。
待望の春にはしゃぐムーミンたちの様子は、小説でも複数回描かれておりますが、タイトル通りのコミックス10巻「春の気分」(筑摩書房)。その冒頭に収録された「南の島へくりだそう」を少しご紹介したいと思います。
「かくも心をうつものがあろうか…」「北の国で春に芽をふくつぼみ…」「ふるさとをつつむ雪をついて顔をだす!」
この出だしのムーミンの言葉だけで、どれほど春を寿いでいるか伝わってきますね。この後、新聞を手にしたスノークおじょうさんが、シャクナゲが咲き乱れる南の国で社交界と浜辺のシーズンが始まったことを告げますが、ムーミンは「ジャマしないでよ 北国の春のナデシコの詩をかいてるんだ!」と、目の前の春に夢中です。
その後も「南の国のミモザ・ヤシの木」に対し「ユキワリソウ」を想ったり、華やかな南の国の植物と対比して、つつましやかでさりげない春の花を好むムーミンが印象的です。
ちょっと面白いところでは、到着した南国の海でウニを踏んでしまいしょげるムーミンに、ママが「かわいそうに… とにかく目的地についたわ ほら本物のリンゴよ」と指し示すのです。南の国=リンゴ、という……。これは日本にはない感覚ですね、リンゴの名産地は軒並み涼しい青森や長野ですもの。(でも実は、世界で一番栽培されている品種は日本産の「ふじ」で、緯度で言うと南は九州から北は北海道まで、かなり幅広い土地で栽培が可能なんだそうですよ。温暖化が進んでしまった場合に備えて、40度の外気温に耐える品種のリンゴも開発中だとか。)
その後の物語では、土地でも家でもヤシの木一本ですら、なんでも「私有」することの滑稽さ、お金があって得られる自由、ないことでしか持ち得ない自由など、トーベ・ヤンソンならではの筆致でコミカルに描かれています。ぜひ読んでみてください。
さて、翻って日本の春についても少し。
実は今年、「春一番」がなかったんですよね。
「南から吹いてくる強い風」を基準に気象庁が決めるそうですが、観測期間も決まっているので該当する風のない年もあるとのこと。10年前このことを知って、少し驚いた記憶があります。
また、伊勢神宮の天照大御神が祀られている「皇大神宮」の開門も思い出されました。太陽神であられるため日の出のタイミングで門扉を開けるのですが、これが宮司さんの“目視”頼みなんです。晴天はわかりやすいですが、曇りでも雨でも「夜が明けたな」と宮司さんが思ったら開門。(その時速やかに実行できるよう、夜明け前から宮司さんが控えられる小さなお部屋も、鳥居をくぐった左側に備えられています。)春一番共々、人智の及ぶ規則性を超えた、地球規模のおおらかな力の流れを感じられるお話です。
立春や春分という暦も重要に感じつつ、私も「春の到来」は毎年自分のタイミングで決めることにしています。今年は2月末、ドラマの撮影終了時に頂いた花束が春を運んできてくれました。(役者業の好きなところは沢山ありますが、「花束」を頂く機会が多いのもその一つです。)
レモンイエローのガーベラ、透け感のあるクリーム色のアネモネ、ペールオレンジのミニバラ、カモミールの親戚マトリカリアシングルペグモ、茎のしっかりした菜の花……。
明るい色の絶妙なグラデーションが美しい花束を受け取り、バラと菜の花が香った瞬間、「ああ、春だ!」と感じました。帰宅後は束のまま花瓶に入れて1日楽しんだ後、解いて水切りして生け直し、水換えをしながら2週間。アネモネのかたい小さな蕾まで全て開花して、素晴らしい春の贈り物でした。
新年度でもある日本の4月は新しいことも多く、お疲れの方もいらっしゃるかもしれません。そんな時は冬眠明けのムーミンたちを思い出して、あたたかな陽を浴びて縮こまった心身をのばしつつ、あちこちで咲きほころぶ花たちを眺めて元気を頂きましょう。
次回5月は、勢いを増す緑についてお送りします。