ガーデニングで地球の未来に種を蒔く|二宮孝嗣さん「前編」
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2005 チェルシーホスピタルガーデン(チェルシーフラワーショー)
チェルシーフラワーショー初の三冠受賞(ゴールドメダル、ベストガーデン、ピープルズチョイス)
「どんな動植物にもね、存在する理由があるんだよ。」と穏やかに笑いながら、トラックの荷台に苗や資材を積み、全国の庭を元気にしていく二宮孝嗣さん。
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田の斜面地2,500坪を花でいっぱいにする「奇跡の丘プロジェクト」の指揮者としても知られる二宮さんは、世界で初めて世界三大フラワーショーのゴールドメダルを三冠達成するなど、数々の受賞歴をもつ世界屈指のガーデンデザイナー。その行動力は、今もとどまるところを知りません。二宮さんのあふれ出る行動力の源泉はどこにあるのか。
インタビュー前編では、ガーデンデザイナーになられた経緯と、世界のフラワーショーでのご活躍についてお聞きしました。
目次
植物の声を聴き、魂を入れるガーデンデザイナー
二宮孝嗣さん
ガーデンデザイナーとしてご活躍ですが、いつごろから関心をもたれていたのでしょう。
はじめから職業としてガーデナーを目指していたわけではないのですが、割と小さなころから植物は好きでしたね。小学生のころにはすでに花への興味がありました。中学生のときはサボテン。月に一度開かれる近くの弘法市(縁日)に行っては、2鉢、3鉢と買って帰ってきて、多い時には200鉢以上あったんじゃないかな。
ずっと植物に関心をもたれて、大学は農学部で園芸を選び、その後、花の仕事に。
大学受験のころは学生紛争が終盤にかかっていたくらいの時代ですからね、「男が花なんて」という風潮が強かった。農学部はいまではバイオなど花形の扱いですが、当時はマイナーで、さらに園芸を目指す男性は希少種ですよ(笑)
日本ではたいていの植物に名前(和名)があります。この名前は通称で、国際的に通じるのはラテン語で付けられた学名です。実は、世界で見ると通称名をもたず、学名で植物を呼ぶ国も多いんですよ。学名を使えば世界中の誰とでも植物の話ができ、しかも英語でのコミュニケーションがとれる人材は貴重だったようで、植物関係の取引などで通訳に呼ばれるようになりました。植生に関する知識もあるから重宝されて依頼も増えていき、イギリス、ドイツ、ベルギー、オランダ、中近東、オセアニア、アジアと海外を飛び回るようになったわけです。
海外で実績を積んで日本へ凱旋し、ナーセリーを開いた?
いやいや、そんないい話ではないんですよ。呼ばれるまま海外のあちこちを回る生活が続いていたのですが、日本に戻ってきたら実家がなくなっていて。いつのまにか名古屋から長野の飯田市に両親が引っ越していたんです。まったく知らされてなくてびっくりしました。
飯田市は中央アルプス、南アルプスの山に囲まれた住むにはとてもよい場所なんですが、なにせ山の中で、都市部のような仕事があるわけではない。これは自力でなんとかしなきゃと、イラクのバグダットへ行って稼いできてからナーセリーを開いたんです。とにかく目の前にあることをなんとかしていくので精一杯でした。
世界のフラワーショーで日本の庭を知らしめる
ロイヤルビジットの際にお見えになったエリザベス女王陛下
1995年チェルシーフラワーショーで日本人として初めてゴールドメダルを受賞した「ホンダティーガーデン」。ロイヤルビジット(王室訪問の日)の際にお見えになったエリザベス女王陛下とお話ししました。
フラワーショーにはどんなご縁で出場されるようになったのですか?
オランダで10年に一度開催されるフロリアードという一種のフラワーショーが1992年にあり、日本政府が出展する際に手伝ったのがきっかけです。当初通訳だけのはずが、イベント準備から設営、材料調達、植栽、後片付け、伝票整理、報告書作成まで運営全部に関わることになってしまって。かなり大変でしたが鍛えられました。
その後、植栽ができて、しかも運営ノウハウまであるのは貴重だったようで、あちこちのガーデンデザイナーから声がかかるようになりました。ある時、イギリスの会社から声がかかり、イギリスの大富豪の個人邸の日本庭園の設計施工の依頼があり、1995年にイギリスのコッツウォルズの丘の上に大きな和風庭園を作りました。その庭がその年の全英造園協会(British association of landscape industry 通称BALI) の年間ベストデザイン賞をいただき、その後、幾つもの個人邸の庭を作りました。
世界でガーデニングのデザインを競うフラワーショー、詳しく教えてください。
メルボルンフラワーショー審査中の様子
花と庭のアートを競うガーデナーが集まるフラワーショーは、100年以上の歴史があるイギリスのチェルシーフラワーショーが世界のトップで、そのほかオーストラリアのメルボルンフラワーショー、ニュージーランドのエラズリーフラワーショー(現在はお休み?)が世界三大フラワーショーとして知られています。
たとえばチェルシーフラワーショーは、王立園芸協会主催でロンドンのテームズ川沿いのチェルシーホスピタル前庭で、毎年5月下旬頃にイギリスをはじめ世界トップクラスのガーデナーが集まって多種多様な植物を使って庭やディスプレイをつくり披露します。
僕の庭作りは、まずコンセプトを決めて、ハードランドスケープである流れやあずま屋、ベンチ、橋、石などを組み合わせて空間をデザインするわけです。その後、ソフトランドスケープである植物(樹木や草花)を配置しますが、あくまでも設計図は参考図であり、実際に得られた材料で、再度、頭の中でイメージを作っていきます。各フラワーショーとも開催期間は1週間足らずと短く、審査が行われる日に最高な状態になるように自然な形に組み合わせていきます。
世界のフラワーショーで何度もトップをとっておられます。エリザベス女王ともお話されたとか。
ガーデンデザイナーの中には、植物の特性をあまり理解せずに庭を作っていく人もけっこういます。乾燥地に適した花と水辺を好む花を一緒に植えたりして、それだと自然な植生にはならない。どこか違和感が出てくるんです。
植物のキャラクター、テクスチャー、カラーコンビネーションそれぞれを、より自然に組み合わせるデザイン感覚が揃って初めて庭園としての美しさと一つの庭としての統一感ができると思っています。
花がいちばん美しく見える自然な配置になるよう、庭全体をどう見立てていくのか、どんな配色がいいのか、何を添えるとより引き立つのか、より艶やかで落ち着くのか、どの角度からみると映えるのかなど、いろいろ工夫しました。僕の作った庭が植物たちからにじみ出る「和の感覚」をフラワーショーの方々に高く評価していただけたのではないかと思います。
内山緑地建設(株)さんと一緒にチェルシーフラワーショー にチャレンジした際、エリザベス女王陛下と現チャールズ国王陛下とお話した様子
チェルシーフラワーショーで、故エリザベス女王陛下には3回ほどお会いでき、庭や植物についてのお話もできました。女王陛下はとてもフレンドリーで気さくな方で、とても自由に庭の説明をさせていただきました。
積水エクステリアさんと一緒にチェルシーフラワーショーにチャレンジした際、現チャールズ国王陛下がお見えになった時の様子
また運よく、庭に造詣が深くて有名な現チャールズ国王陛下ともイギリスの庭や日本の庭についての話もさせていただきました。国王陛下は、私の話を一言ずつかみしめるように頷かれてから返事をくださいました。英語には、日本語のような関係性によって言い間違えたら不敬とされるほど複雑な敬語は使わなくてすみますので、フランクに話ができて幸せでした。
イギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初となるゴールドメダルを受賞獲得した際の賞状
~二宮孝嗣(にのみや・こうじ)さんのご紹介~
ガーデンデザイナー、樹木医。
静岡大学農学部園芸学科卒、千葉大学園芸学部大学院修了。
1975年からドイツ、イギリス、ベルギー、オランダ、イラク(バグダット)と海外各地で活躍の後、1982年に長野県飯田市にてセイセイナーセリーを開業。宿根草、山野草、盆栽を栽培する傍ら、飯田市立緑ヶ丘中学校外構、平谷村平谷小学校ビオトープガーデン、世界各地で庭園をデザインする活動を続ける。
1995年には世界三大フラワーショーのひとつ、イギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初となるゴールドメダルを受賞獲得した。さらに、オーストラリアのメルボルンフラワーショー、ニュージーランドのエラズリーフラワーショーと、世界三大フラワーショーのゴールドメダルをすべて受賞、世界初となる三冠を達成した。ほかにも世界各地のフラワーショーに参加、独自の世界観での庭園デザインで世界の人々を魅了し、数々の受賞歴をもつ。
樹木医七期会会長、一級造園施工管理技師、過去に恵泉女学園、岐阜県立国際園芸アカデミー非常勤講師。各地での講演や植栽・ガーデニングのセミナーなども多数。著書『美しい花言葉・花図鑑-彩と物語を楽しむ』(ナツメ社)はロングセラーとなっている。
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二宮孝嗣さん、ありがとうございました。
海外での数々の受賞や、ガーデンデザイナーとしてのご活躍が素晴らしいですね。「後編」では、日本のガーデニングについてや、二宮さんの日本での活動について深くお聞きします。ぜひ「後編」もお読みくださいね。