世界遺産にビカクシダ?マカオの植物探訪
小野寺葉月
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現在セブに住んでいる小野寺ですが、4月の初めに子どもと二人でマカオ旅行に行ってきました。セブからだとアジア諸国に動きやすくてマカオと言えばカジノというイメージが強いので、子連れでカジノ???と沢山の人に質問されましたが、私たちはカジノにはいかずに町の中を散策して過ごしました。小さな町の中に世界遺産が所せましと立ち並んでいるマカオの街は、植物もたくさんありました。当初想像していたよりも植物に触れ合える旅となりました。その一部をご紹介します。
目次
マカオの基本情報
マカオ(澳門)は、中華人民共和国の特別自治区ではないにせよ、シーズンによっては平均気温の差が7度ほどあります。一番寒い時、1月のマカオの平均気温は16.3度です。どれぐらいかというと、16度を下回るとだいたい息が白くなると言われています。一番熱い時期は8月で、平均気温は29.2度です。平均気温が70%から80%と高いので、体感温度はもう少し高くなります。とくに5月~8月の雨季に気温があがることと、台風シーズンでもあるので観光に行く場合は雨具や靴など準備をしていきましょう。私たちが行った4月は雨期に入る前のベストシーズンでした。植物にはいい環境で、大きく育った大木が町中にありました。
マカオの歴史
ポルトガルの植民地としての歴史が長いマカオ。最初にポルトガルがマカオにやって来たのは、1513年のことです。ポルトガルはリスボンからアフリカ・インドを経由してアジアへの領土拡大と布教を進めるために、マレー半島などを侵略して、そこからマカオにやってきます。マカオを拠点に日本や中国への侵略を考えていたようです。1557年にポルトガルはマカオの永久居留権を取得します。その後、日本が鎖国したり、中国(清)が貿易を禁じたことなどから、一時期マカオは没落します。
1843年に海をはさんで向かいの香港がアヘン戦争に敗戦したことでイギリスに植民地化されました。それに触発されたポルトガルが、それまで自由に出入りしていた中国官吏から奪い、完全に植民地化したのが1849年のことです。
植民地化されたマカオですが、ポルトガル領土になったわけではありません。ポルトガルはマカオの統治権を握っただけで、実質マカオの主権はずっと中国が握っていたものとされています。そのため、情勢も比較的安定していたということです。
現在でもポルトガルの影響は大きいようで、現存する建物もポルトガルの建築様式で建てられたものが数多くあります。
マカオの世界遺産
マカオ自体の広さは世田谷区程度ですが、なんと世界遺産がそのなかに30個もあり、22の建造物と、8ヵ所の広場が登録されています。マカオの街は路地と広場が特徴的です。ここからは、私たちが実際に足を運んだ場所と、その場所で見つけた植物をご紹介していきます。
リラウ広場
リラウ広場は泉があったり地中海的な雰囲気を持った広場です。マカオで最初のポルトガル住宅に面した広場で、もともとあった泉からは天然水が湧き出ており、長い間その水を生活用水として利用してきました。現在はその泉は塞がれて新しく作られた泉があります。
広場にはガジュマルの大木があります。ちょうど夕方の時間に行ったので、学校帰りの子どもたち、世間話をするおじさんやおばさん、リハビリなのか杖を突きながら広場を往復しているおじいさんがいました。
何をするでもなく座っている人もいて、広場があることによって場ができることの豊かさを思いました。
鄭家大屋(MANDARIN HOUSE)
毛沢東にも影響を与えたといわれる中国の思想家、鄭觀應の住居です。中国建築に西洋建築の要素が取り入れられています。
中庭に面したテラス。テーブルには陶器に入ったアンスリウムの鉢が置いてありました。
パティオのような中庭には銀木犀の木が一本あります。
西洋とアジアの様式が調和している空間でした。自然光を上手に取り入れていました。
盆栽と小さな陶器の置物で世界観を作っていた鉢。
奥の庭園にあった大きな木。マンゴーのようでした。ここは大きなマンゴーの木と、枝挿しされた銀木犀やブーゲンビリアなどたくさんの鉢が並んでいました。
見えにくい位置にあったレリーフ。古いものなのか、改修の折に設置されたのかはわからないけれど素敵でした。
\公園に盆栽が共存!?/
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