西洋庭園の歴史 後編 〜富の移り変わりとヨーロッパ庭園〜|二宮孝嗣の「庭・植物よもやま話」⑤
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Photo by 二宮孝嗣 ベルサイユ宮殿から望む壮大な庭園
世界のフラワーショーで数々の受賞歴をもつガーデンデザイナー、二宮孝嗣さんのコラム連載。「庭」にフォーカスした「庭・植物よもやま話」の第5回目は、「西洋庭園の歴史(後編)」をお届けします。暗黒の中世修道院から、絶対王政を象徴するベルサイユ宮殿の壮大なフランス式庭園、そして産業革命を経て花開いたイギリス自然風景式庭園へ。世界の富の移り変わりとともに、海を渡った植物たちや偉人たちが織りなすヨーロッパ庭園の変遷をたどります。
目次
中世修道院からイタリアルネッサンスへ
前回、世界の富が西アジアから地中海、ギリシャ、その後暗黒の中世を経てイタリアルネッサンスが始まるところまで書きました。暗黒の時代、修道院では薬としてのハーブの栽培が盛んになり、それぞれ門外不出の秘薬としてキリスト教の布教と相まって多く育てられました。 その後、スイスから始まったハプスブルク家がウィーンに移り、ヨーロッパを支配することとなりました。一方、イタリアではメディチ家がフィレンツェを中心にルネッサンスの幕を開けました。
ベルサイユ宮殿とフランス式庭園の繁栄

Photo by 二宮孝嗣 ベルサイユの大庭園
その後、富の中心は17世紀にルイ14世が建てたベルサイユ宮殿を中心にフランスへ移りました。バロック建築の傑作であるこの宮殿は、建築家のマンサールや画家のル・ブランらが腕を振るい、親子代々造園家のアンドレ・ル・ノートルによって、フランス式庭園の代表作でもあるシンメトリックで壮大な庭が造られました。あまりにも大きな敷地ゆえに、ル・ノートルも苦労したようです。

Photo by 二宮孝嗣 ル・ノートルが手がけた大庭園の全体マップ
シェーンブルン宮殿への影響とフランス革命による終焉

Photo by 二宮孝嗣 ヨーロッパ中が憧れ手本としたベルサイユ宮殿の壮大な軸線
ウィーンにあるハプスブルク家のシェーンブルン宮殿では、ベルサイユ宮殿の庭に憧れて造ったと言われる大きなフランス式庭園を、今も見ることができます。その後、18世紀にフランス革命が起こり、王政から国民主権へと移り、庭は造られなくなってしまいました。
現代に息づくモネの色彩感覚

Photo by 二宮孝嗣 多彩な花々が調和するフランス式花壇
少し前ですがフランスを訪れた時、イギリスの花の植え方を見慣れていた僕にとって、フランスの花の混植はとても新鮮に映りました。驚くことに印象派のモネの色彩にそっくりなことに気づき、現代もフランスの人々の心の中にモネの色合わせが息づいていることに感心しました。

印象派の巨匠 クロード・モネの絵画

Photo by 二宮孝嗣 ベルサイユ宮殿の花壇
目を細めて見ると、モネの睡蓮とベルサイユの花壇の配色がオーバーラップしてきませんか。特に、水面の青と花壇のデルフィニウムの青の雰囲気が、なんだか同じに見えてくるんですよね。
産業革命とイギリス自然風景式庭園

Photo by 二宮孝嗣 イギリス クリブデン・ハウス
18世紀後半、イギリスで産業革命が起こり、世界はイギリスを中心に回り始めます。かつてフランスがイタリアルネッサンスに憧れたように、当時のイギリスもフランス文化に強く憧れ、富を得た領主たちはこぞってフランス式庭園を造ったようです。しかしその後、フランスの真似事ではなく、イギリスの「たおやかな起伏」と「島国という他国からの侵略をあまり考えなくてもよい環境」でイギリスの自然を生かした庭が造られるようになりました。
大英帝国とプラントハンターの活躍

Photo by 二宮孝嗣 英国伝統のウォールドガーデンとボーダー花壇
イギリスが七つの海を支配し、大英帝国を築き上げると、プラントハンターを世界の隅々まで送り出しました。そして、世界各地の多様な植物を本来植生の貧弱なイギリスに持って帰り、キューガーデンやウィズリーガーデン、貴族の住むマナーハウス(領主の館)に植えてお互い自慢し合ったようです。
ライムストーン(石灰岩)が多く土壌が中性に近いイギリスでは、酸性土壌が好きなアジアの植物はうまく育たないので、彼らは主にイギリス南部に稀にあるピートモスや有機質の溜まった酸性土壌の土地を競って買い、日本や中国、ヒマラヤから持ち帰った珍しい植物を植えて楽しみました。
日本の園芸文化と海を渡った植物
その当時、日本の園芸文化は非常に高かったので、気候も似ている日本から多くの植物を持ち帰りました。ただ、日本の植物の多くは酸性土壌が好きなので、ご機嫌を取るのが今でも難しいようです。それでも、日本の植物の中には、ギボウシやヤマモミジ、アオキのように適応力のある植物もあります。
イギリス庭園を彩った偉人たち

Photo by 二宮孝嗣 ハンプトンコート宮殿の庭園
庭の話に戻りますと、イギリス庭園の創始者であり画家でもあったウィリアム・ケント、そのあと僕の尊敬してやまないケイパビリティ・ブラウン、植栽の天才ガートルード・ジーキル女史が現れ、今も残る多くの名庭を造りました。この3人については、次回もう少し詳しく話をしたいと思います。また、なぜ世界で庭の文化が日本とイギリスだけに育ったのかを僕なりに書きたいと思っています。(前回予告した温暖化のテーマは少し先のお楽しみにとっておきます。)
今回は、ヨーロッパの庭の流れが、世界の富の移り変わりと一緒にイタリア、フランス、そしてイギリスへ移って今に至るちょっと前までというところまで書いてみましたが、いかがでしたでしょうか? それでは今回はこれで終わります。
▼二宮孝嗣さんのインタビュー記事はこちら

二宮孝嗣(にのみや・こうじ)
ガーデンデザイナー、樹木医。
静岡大学農学部園芸学科卒、千葉大学園芸学部大学院修了。
1975年からドイツ、イギリス、ベルギー、オランダ、イラク(バグダッド)と海外各地で活躍の後、1982年に長野県飯田市にてセイセイナーセリーを開業。宿根草、山野草、盆栽を栽培する傍ら、飯田市立緑ヶ丘中学校外構、平谷村平谷小学校ビオトープガーデン、世界各地で庭園をデザインする活動を続ける。
1995年には世界三大フラワーショーのひとつ、イギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初となるゴールドメダルを受賞した。さらに、オーストラリアのメルボルンフラワーショー、ニュージーランドのエラズリーフラワーショーと、世界三大フラワーショーのゴールドメダルをすべて受賞、世界初となる三冠を達成した。ほかにも世界各地のフラワーショーに参加、独自の世界観での庭園デザインで世界の人々を魅了し、数々の受賞歴をもつ。
樹木医七期会会長、一級造園施工管理技士、過去に恵泉女学園、岐阜県立国際園芸アカデミー非常勤講師。各地での講演や植栽・ガーデニングのセミナーなども多数。著書『美しい花言葉・花図鑑-彩りと物語を楽しむ』(ナツメ社)はロングセラーとなっている。









































