先人の手作業に想いを馳せて頂く「栃餅」|山下智道の日本の暮らしと身近な野草③
山下智道
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野草研究家の山下智道さんに、日本で脈々と受け継がれてきた野草の使い方を連載形式で紹介いただきます。身近に見かける野草を、改めて見直してみませんか?
山下智道の日本の暮らしと身近な野草③
縄文時代から続く栃の実でつくる『栃餅』
「栃餅(とちもち)」をご存じだろうか?
栃の実の独特な香りがするお餅で、栃の木(トチノキ)の実に含まれる良質なデンプンを使用するのだが、その際のアク抜きの作業がめちゃくちゃ大変なのである。トチの実に含まれるアクを取り除く工程は日本独自とものとされ、縄文時代から先人たちが築き上げた伝統である。
そもそもアクとは?
「アク(灰汁)」とは、食材から出る苦味やエグミ等のもとになる成分の総称である。すぐにイメージするのは、 野菜や肉、魚を茹でる際にでる、目に見えるアクではないだろうか。
もう少し具体的に説明すると、アクには植物性と動物性のものがあり、植物性のアクには、ホウレンソウのシュウ酸、ワラビのプタキロシド、ゼンマイのチアミナーゼなど、基本的に有害な成分が多い。通常の摂取量で健康に大きな影響を与えることはないが、「チアミナーゼ」はビタミンB1を分解するため、過剰摂取には注意が必要。また「シュウ酸」はカルシウムや鉄と結びつき、これらの吸収を阻害する可能性がある。通常の摂取量では健康に影響を与えることはないが、シュウ酸を多量に摂取することは腎臓結石の原因となる可能性もある。
苦難のアク抜きを経た先にある旨味
さて、話を栃餅に戻そう。トチの実に含まれるアクは「エスシン」と呼ばれる成分で、分類的には界面活性作用のあるサポニンに分類される成分である。
一度、生でトチの実をかじったことがあるが、凄まじい苦さと渋さに舌が襲撃された。栃餅を作る過程では、この厄介なエスシンを取り除かないといけない。アク抜きはアルカリ性の木灰液につけ込んで行う。これはエスシンが加水分解され、苦味の弱いデアセチルエスシンやデサシルエスシンに変換されるからである。
……と、言うは簡単。このアク抜き、かなり気が遠くなる作業で、死ぬほど大変なのである。
トチの実のアク抜きは、皮をむいたトチの実をお湯で煮た後、木灰液につけ込んで行う。アクを抜くのに半月以上の時間と高度な技術が必要で、アク抜きに用いる灰の質や、アク抜き時の温度管理によっても味が左右される。
この大変な工程を知っているからこそ、大切に味わって頂くのだ。そんじょそこらで買ってきた饅頭とは比べ物にならない。
この栃餅は、かつて米がほとんど取れなかった山村では、デンプンを含む重要な食糧であった。古くは縄文時代から食べられ、現代では全国各地の土産物としても売られている。砂糖をつける、餡に絡める、あるいは包む、変わったところでは、塩茶漬けにするなどして食べることもある。
トチノキ( Aesculus turbinata)
ムクロジ科トチノキ属の樹木で、標準和名はトチノキ。木を抜いて単に「トチ」と呼ばれることも多い。
標準和名の由来は、朝鮮語由来、アイヌ語由来、果実由来など諸説ある。アイヌ語説ではアイヌはこの木を「トチニ」と呼び、これがそのまま和名になったといわれる。フランス語名は marronnier(茶色い実のなる木)で、種子の色に由来し、フランス語名は音写した「マロニエ」という名称で日本でもよく知られている。
トチの実は栗にも似ているが、栗と違って実の頭がとがっていない
また学名の種小名 turbinataは「渦巻き状の」「円錐型の」などの意味があり、おそらくは同属近縁種と比べても、綺麗な円錐型に近い本種の花序の形態に由来した命名とみられる。
落葉広葉樹の高木で、最大樹高30 ~ 35m、胸高直径4 mに達し、広葉樹らしい丸みを帯びた樹冠で、枝を斜め上に伸ばす樹形となる。若い個体の樹皮は平滑で灰褐色だが、老木では褐色になり老木は大きく剥がれる。一年枝は太く、淡褐色や淡赤褐色で無毛。
葉は掌状複葉で、枝に対しては対生し、長い葉柄を持つ。倒伏状長楕円形から倒卵形の小葉を7枚つけるが、小型の葉ではその数は5枚に減る。側脈は18~22対、葉縁には鋸歯を持ち重鋸歯である。花は枝先の葉の間から長さ15 ~30 cmの円錐花序が立ち上がる。
1つの花序には200個から500個の花が付き、雄蕊だけを持つ雄花と雄蕊、雌蕊を持つ両性花の2種類の花を付けるタイプであるが、花序内のほとんどは雄花である。両性花は花序の中部から下部にできる。
種子はブナ科に似るが、ブナ科が枝の変化した殻を持つ堅果に対し、トチノキは蒴果と呼ばれ心皮の変化した殻を持つ。蒴果は円錐形で三裂する。種子は蒴果に完全に包まれており、艶、形ともにクリに似ているが、ツヤのある黒褐色で色が濃く、球状をしている。
薬用
種子と樹皮は薬用として用いられる。
種子を天日乾燥して調製したものは娑羅子(さらし)と称して生薬とし、主成分のトリテルペンサポニンのエスシンは下痢、扁桃炎、水虫、たむし、打撲、捻挫のほか、百日咳や胃痛にも効果があるといわれている。
樹皮は薬用樹キナノキの代用になるといわれている。民間伝承薬では実を水で浸出したものが、馬の眼病を治す効果があるという。民間療法では、下痢のときに樹皮を600 ccの水で煎じて飲用したり、扁桃炎には煎じた液でうがいをする。
野草研究家 山下智道
生薬・漢方愛好家の祖父の影響や登山家の父の影響により、幼少から植物に親しみ、卓越した植物の知識を身につける。現在では植物に関する広範囲で的確な知識と独創性あふれる実践力で高い評価と知名度を得ている。国内外で多数の観察会、ワークショップ、薬草ガーデンのプロデュース、ハーブやスパイスを使用したブランディング等、その活動は多岐にわたる。TV出演・著書・雑誌掲載等多数。
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