ターシャ・テューダーが過ごした「輝きの庭」と憧れのスローライフ
LOVEGREEN編集部
このライターの記事一覧
ターシャ・テューダー…素晴らしい庭を眺め、憧れのスローライフを実践していた、世界的にも有名なガーデナーです。
ターシャの庭を眺めることで、私たちの暮らしを見つめ直すきっかけもくれるターシャ・テューダー。
ガーデナーの他にも、人形作家、絵本作家としても有名なターシャです。彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われ、クリスマスカードや感謝祭、ホワイトハウスのポスターによく使われていました。
有名なマザーグースの挿絵でご覧になった方もいるかもしれませんね。とても温かみのある絵が懐かしい気持ちにさせてくれます。
2008年6月に他界してもなお愛され続ける、世界的に有名なガーデナー、人形・絵本作家でありスローライフを実践されていたターシャについてご紹介します。
目次
幼少期のターシャ
ターシャは1915年8月28日マサチューセッツ州ボストンで生まれました。
ターシャの父は、ヨットや飛行機の設計の業界ではアメリカを代表する有名な技師・実業家で、母は肖像画家でした。
絵本画家としての影響は、母親の存在だったようです。
両親共にボストンの名家出身で、彼女の両親の祖父や曽祖父及び、その兄弟なども地元の名士でしたが、ターシャは小さいころから、そんな華やかな世界が好きになれなかったようです。ターシャには社交界よりも、農場のほうが魅力的でいつも牛を欲しがっていたような子供でした。
両親が離婚した後、ターシャは母親に引き取られます。母は子供には都会よりも田舎の方が向いていると考えたため、ターシャはコネチカット州レディングに住む両親の友人の家に預けられ、週末だけ母の住むニューヨークを訪れるようになりました。
ターシャはボストンよりも自然の多いレディングを愛していたそうです。
13歳の誕生日に念願の牛を買ってもらったターシャは、15歳で学校を辞めて迷わず絵画と農業の道を選び、その経験はその後のターシャの庭の原型となりました。
大人になったターシャ
大人になったターシャは結婚をし、その後絵本作家としてデビューをはたします。
4人の子供に恵まれ、子育てもスタートさせます。しかも、人形作家としても、農場の作業も加わり、多忙な毎日を過ごしていたようです。
そんな忙しい毎日を送っていたターシャは、「何のためにこんなに忙しいんだっけ?」と、時には立ち止まり、自分の求めることを自分の心に問い、見つめ、一歩ずつ歩き続けることを自分に言い聞かせていたようです。
実際にターシャが絵本を書いているときは、締め切りに追われて、牛の乳をしぼりながら、原稿を口頭で編集者に伝えることもあったそうです。
ターシャ自身も余裕をもって好きなことをしていたわけでなく、とても忙しかったけれど、それをとてもポジティブにとらえて行動していた人でした。
その後離婚を経験し、子供達が自立、ターシャひとりになったとき、住んでいたニューハンプシャーの農場も、家も広すぎるし、家が公道に面しているのでコーギの交通事故が心配、ということから、すでにバーモントに住んでいた息子のセスに、ひとりでゆったり暮らせる土地を探してもらって見つけたのが、ガーデナーとして世界中の人を魅了することになった「あの庭」につながるのです。
ガーデナーとしてのスタート
ターシャの庭と言われる有名なお庭はバーモント州にあります。
バーモント州は農業と酪農が盛んな地域で、このバーモンドという言葉はフランス語で「緑の山」という意味を持つ自然豊かな地方です。
こうして写真で見てみても、本当に緑豊かな自然の残る地方ですね。
本格的なガーデナーとしてのターシャのスタートは、なんと57歳の時でした。
バーモントでの暮らしは、ターシャにとってそれまでの生活の延長でありながら、子育てから解放され、今までできなかったことに思い切り打ち込んだ、幸せなリタイアライフだったようです。
およそ30万坪の広大な土地に、家具職人である長男が、ターシャが望む昔ながらの趣のある家をたった1人で造り上げました。
ターシャは家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、一日の大半を草花の手入れに費やし、山羊の乳を搾り、庭でとれた果実でジャムなどを作り、パイを焼きます。
午前中には絵を描き、午後には刺繍。ターシャの生活は素朴ながらも、優雅で贅沢な時間を送っていました。そして、その彼女の生き方に、世界中の人が憧れたのです。
ニューハンプシャーでもバーモントでも、最初は電気も水道もなかったので、19世紀頃の開拓時代スタイルであるスローライフの生活を送っていました。ターシャも、そんなものだと思っていたので苦にならなかったそうです。
頑なに古い暮らしを守っていた人のように思われていますが、ターシャは私たちの想像以上に、柔軟に現在の生活と合理的に融合していました。
電気が通れば洗濯機や冷蔵庫は取り入れ、ニューハンプシャーでは照明も電灯でした。なんと、車も80歳まで運転していたそうです。
でも、ろうそくの光がとても好きだったので、電気が通った後も、電気スタンドをいくつか使っただけで、部屋の照明にはろうそくを使っていたようです。
このように、ターシャは、電気や水道等、近代設備はもちろん使用していましたが、最小限に留め、暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがある昔ながらの生活を好み、豊かに暮らしてました。
ターシャの初めての植物
そんなターシャが1番最初に心奪われた植物があります。
それは、ターシャが3歳の時にグラハム・ベルの庭で出会ったの黄色いバラ(ロサ・ユーゴニス)です。
ちなみに、グラハム・ベル氏とは…
世界初の実用的電話の発明で知られる、かの有名なスコットランド生まれの科学者、発明家、工学者のアレクサンダー・グラハム・ベル氏です。
両親共にボストンの名家出身のため、グラハム・ベル氏ともお付き合いがあったようです。
このベルの家に咲いていたバラの花ロサ・ユゴニスを見て花の魅力に目覚め、将来自分もこんな花を咲かせる人になろうと心に決めたと言われています。
黄色いバラ(ロサ・ユーゴニス)
品種名 | ロサ・ユーゴニス(Rosa hugonis) |
原産地 | 中国 |
別名 | ロサユゴニス、Father Hugo Rose |
花色 | 薄黄色白, クリーム, 黄 |
咲き方 | 一重咲き |
花径 | 3~5cm |
花弁数 | 5枚 |
樹高 | 2m |
早咲きの品種の1つで、香りは微香です。中国産のバラの原種であり野生種でもあります。
日本での取り扱いは珍しく 入手困難も困難とされていますが、一部のバラ園で栽培されていますのでネットなどを利用して購入することが出来るようです。
原種ですので、花弁数の多い現在のゴージャスなバラに比べて可憐な印象のバラです。
中国中部に伝道に赴いた「ヒューゴ神父のバラ」という意味だそうです。
ターシャの輝きの庭~6月
そんなターシャが愛した庭の中でも6月は輝きの庭と呼ばれ、1年の中でも特別な月でした。
ターシャの「輝く庭」に咲いていた花々の一部をご紹介します。
シャクヤク
日本では5、6月の季節に咲く多年草です。
タチオアイ
開花期は梅雨頃から夏で、毎日新しい花を咲かせ2ヶ月近く咲き続けるお花です。
アイリス
4、5月に開花期を迎えるアイリスは、花が終わったらすぐに摘み取ります。以前見たターシャの番組で、せっせとターシャもアイリスの花がら摘みをしていました。
ムラサキハナナ
花期は3~5月です。伸びた茎の先に花径2cm~3cmの花を咲かせ、その小さな花々が風に揺れるさまが美しいお花です。
ルピナス
ルピナスには、さきほどお話に出てきたベルという偉大な発明家の可愛らしいエピソードがあります。
ベルは、ポケットにルピナスの種を入れて、行く先々でこの種をまいて、アメリカ中にルピナスの花を咲かせたという話があります。ターシャは、この話をベルの娘の親友だった母から聞いてとても感動し強く影響を受けたそうです。
いかがでしたか?
ターシャのお庭に訪れてみたくなりましたか?
現在のターシャのお庭は、ターシャの息子さん、お孫さんによって手入れされ、豊かなスローライフが受け継がれています。
実際に、アメリカのバーモンド州まで行くことができなくても、日本にはターシャの想いを受け継いだ庭や美術館があります。
そして、ターシャの想いを感じる映画があります。一部地域で今週金曜日2017/9/8まで公開されています。
この機会に、皆さんも「ターシャの庭」にふれてみてはいかがでしょうか。
関連ワード
今月のおすすめコンテンツ
「ターシャ・テューダーが過ごした「輝きの庭」と憧れのスローライフ」の記事をみんなにも教えてあげよう♪